この春は桜前線が駆け足で北上し、清々しい陽気が続いています。4月は入学・入社など、節目となる行事がありますが、今日4月3日は日本橋開通記念日です。現在、日本橋というと地名としてのイメージが大きいように思いますが、橋の名前に由来することはご存知の通りです。江戸幕府か開かれた慶長8年(1603年)に、木造の太鼓橋として建造されました。その後何度かの改修が行われた後、明治44年(1911年)に現在の石造橋に架け替えられ、同年4月3日に開通式が行われたことによりこの日が記念日となりました。2011年に開通100周年を迎え、地元でもこれからへの継承に余念がない日本橋。橋として、街としてそれぞれの日本橋の魅力とは?


橋としての「日本橋」の今昔

江戸幕府が開かれたときに町の拠点として架けられた日本橋は、翌・慶長9年(1604年)に全国へ通じる五街道の起点に定められ、江戸の商いや文化を支えました。その往来の賑わいは、当時の川柳にも詠まれており「ふる雪の白きをみせぬ日本橋」(宝暦7(1757)年)の句が『萬句合(まんくあわせ)』に収められています。「ふる雪の白き」が見えないほど人々で埋め尽くされた橋のにぎわいが目に浮かびますね。
日本橋は江戸時代に何度か改架しているのですが、1618(元和4)年に最初の大改架が行われ、長さ三十七間四尺五寸(約68m)、幅四間二尺五寸(約8m)であったと『慶長見聞集』に記述が残っています。現在の日本橋の長さが約49m・幅37mですから、今より大きかったのですね。


橋の装飾に美意識が隠れている?

木造から石造りに変わった明治44年の改架された橋は、ルネサンス様式の二重アーチ構造です。設計担当は米元晋一、樺島正義、装飾担当が妻木頼黄(敬称略)によるものです。装飾については日本の美意識がふんだんに取り入れられていることが見逃せません。東野圭吾『麒麟の翼』により多くの人に知られることとなった麒麟像、塔柱の文様は装飾担当の妻木の代表作とも言われ、和洋折衷の繊細な作品です。また、橋の両端をはじめ、語呂合わせで、8×4=32の獅子がそこかしこに隠れているとか…江戸っ子気質を感じさせる洒落っ気がありますよね。ぜひ、日本橋を渡る時には獅子の数を数えてみてください。

獅子の像

獅子の像


街としての日本橋と文学のつながり

現在も日本橋という街は経済と商業の街であることは変わりません。目抜き通りには老舗百貨店や古くからの専門店が軒を連ね、金融機関の本店も多くあるこの街に、江戸時代には橋のたもとの市場があったのはもちろん、花柳界もあり華やかな街でした。そういった街の雰囲気を背景に生まれた文学作品に泉鏡花の『日本橋』があります。泉鏡花は金沢に生まれ、東京で執筆活動を行っていました。その作風は「耽美的」と表現されることが多く、美しい言葉と文章が特徴です。健全な身体に健全な精神が宿るように、鏡花の筆が描く文章は、選ばれた言葉と同じく美しい魂が宿っています。この作品は、二組の男女が織りなす恋愛小説の形をとりながら、二つの魂の行方を描いた作品でもあります。その精神性は日本橋という街が背景にあることに大きく影響していることは否めません。近代小説は読みにくい…と敬遠せずにいちど手に取っていただきたい一冊です。また、鏡花を敬愛していると明言する歌舞伎役者・坂東玉三郎主演の舞台が、玉三郎自身の演出により映画化もされています。視覚で楽しむことができますのでこちらもおすすめです。
スタートの季節です。全国へつながるスタート地点の橋と街に目を向けてみてはいかがでしょうか。

鏡花の筆塚(湯島天神・東京)

鏡花の筆塚(湯島天神・東京)

参考・出典
・まち・日本橋
・シネマ歌舞伎